考えるマカロニ

atsu-atsuの脳内のシナプスのお遊戯を文章化したものです。

革命前夜

移り住むことによって、大きく変わること。

それは、

子どもが保育園に入ること。

 

鎌倉で、子どもは青空自主保育というものに通っていた。

園舎は持たず、お山や海など自然の中で遊ぶ。

保育者さん1人と、当番の親1~3名ほどが引率する。

これに週2回通っていた。

 

高知には、そういったものは、ない。

インターネットで調べる限り。

毎月とか、長いスパンで定期開催されるものはあるけれど、

毎週のはないんじゃないだろうか。

 

高知は、ほとんどの家庭が共働きで、ほとんどの子どもが保育園に行く。

これは、昨年、土佐山という地域に家族で1ヶ月滞在していたときに知った。

驚いた。

 

驚きつつ、ならばと、うちも保育園の申込みをしてみたところ、

入園できることになった。

そして、明日いよいよ入園式を迎える。

 

少し前から、

ああ、子どもとこんなに濃密に長い時間を過ごせるのもあと数日か。

と思っていた。

そして今日はその最後の日。

そんな記念すべき日だったのだが、

今日、わたしはすっかり疲れてしまった。

 

うちの子どもはよくしゃべる。

発音も、かなりはっきりしていて、声の抑揚も、表情も、

2歳という年齢から考えると、ずいぶん大人びている。

しばしば家族以外の人に驚かれるくらいだ。

中身は2歳らしい部分が多々あるのに、

言葉がしっかりしているせいで、

わたしは子どもを、2歳らしく扱っていないのかもしれない。

 

今日は、何をするのにも、そこに障害が立ちはだかった。

子育て支援センターに行こうと誘うと、「いやだ」

それならと、図書館のお話し会に行くことにすると、

なにを持っていくだの行かないだのと、なかなか出発できない。

トイレ行く?「行く」

いざトイレに行くと、「行ーかないっ」

図書館で絵本を選んでいると、「お菓子、お菓子」

外へ出て、お菓子を出す、食べる。「もういっこちょーだい!」

お昼どきである。お菓子でおなかを満たされたら困る。

「○○ちゃん(自分の名前)が、~~してくれるよ」

という言い方も、腹が立つ。

仕事帰りの夫と待ち合わせしたのに、

あそび場からなかなか出られない。

夫に会えば会ったで、「おかあさんがいじわるしたの」

こうして文字にすると、2歳らしいことばかりだ。

何をそんなに疲れているの、怒っているの、大人げない。

と、言われそうだ。

 

だけど、ここに書いたのはほんの一部のことで、

おなかにコツコツと入れられたボディブローのように、

我慢は蓄積する。

夫に会うころには、わたしの堪忍袋はほころびきってしまって

いくつもの穴からピューピュー中身が漏れ出していた。

無表情に硬直した顔で、仕事帰りの夫に悪いと思いながらも、

「ひとりになりたい」

と言わずにいられなかった。

夫は子どもを引き受けてくれ、わたしは家に帰った。

と言いたいところだが、

夫に買い物までは頼めまいと思い、

食べ物の買い出しをしてから、帰った。

 

お母さんをやめたくなったことはないが、

お母さんであることに疲れるときは、ある。

 

どうしてこんなに疲れてしまったんだろう。

ふとダイニングテーブル下の床が目に留まる。

ああ。

こんなこともあった。

ここから始まっていた。

その床には、ふりかけが盛大に散らばっていた。

 

子どもとの生活で溜まるストレスの原因は、

多くは些事なのだ。

些事が積もって、発狂しそうになるのだ。

 

明日以降の日々が、どうなることか。

通い始めは、園での緊張の反動で荒れる夜も多いだろうと予想している。

それでも、変化に期待したい。

自分の心境の。

 

シワシワの顔で入園式に出たくはないけれど、

赤江さん産休明けて戻ってきたたまむすび(TBSラジオ)でも聴きながら

もうひと踏ん張り夜なべして、通園バッグを縫うとしよう。