考えるマカロニ

atsu-atsuの脳内のシナプスのお遊戯を文章化したものです。

親と先生の会

 

小学校には、親と先生の会があって

ペアレンツ・ティーチャー・アソシエイションだったか

その頭文字を取った略称で呼ばれている。

 

わたしはその新聞の係に立候補した。

6年間のうちに1回なにかの係をやればいいと聞いたので。

新聞の係、あなたならできると思うよと友達に言われたので。

 

そしていま、やっている。

1学期の分を3人で行っているのだが、

知り合いでもない大人が3人集まって

短時間打ち合わせをしただけで新聞を作るというのも

なかなか大変なことだと思った。

 

デジタルな時代なので、打ち合わせは1回だけで、あとはLINEでやりとりを済ませているが

思わぬ不協和音が鳴らされて驚く瞬間もあり、

どうやって返信しようか考えている夢までみたけれど、

まあ、ラリーを重ねてなんとか収束してきた。

 

あの日、不協和音なメッセージをもらったとき、一瞬思った。

「PTAって要る⁈」

それからしかし、こう思った。

「PTAは、子どもが経験してるようなことを、親が経験できる場なのかもしれない。」

 

子どもが経験してるようなこと。

とくに仲良くもない子とペアになったり班になったりして

協力してなにかをやらなきゃいけない場面ってのは子どもにはたくさんあるはずだ。

大人になると、それはだんだん減ってくる。

仕事でそんなことしょっちゅうある、という人もいるかもしれないが、

わたしには、そんなにない。

 

今回、共同作業の難しさを感じたとき、わたしは子どもの学校生活を思った。

ああ、こういう難しさにしょっちゅうぶち当たるんだな。子どもは。

子どもの気持ちを、もっとよくわかるためには、この活動は役に立つのかも。

プラスに捉えれば、そう。

要るか要らないかを全校の親にアンケートを取れば

要らないの圧勝になりそうではあるけれど、親同士のつながりを作るきっかけにはなる。

つながりなんて面倒かもしれないけど、知り合いが増えていいことだってあるだろう。

子どものためにも、自分のためにも。

 

いやしかし、どうしてなかなかです。

おつかれ自分、

おつかれ親と先生たち。