考えるマカロニ

atsu-atsuの脳内のシナプスのお遊戯を文章化したものです。

最後はまたその天秤かい。

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毎日本を読んでいる。

今関心を持っているミュージシャンが文章も書く人だから

その人の小説やエッセイなどを図書館でたくさん借りてきて寝る前に読んでいる。

(おかげでジョイマンは途中になっている)

 

すっごく良い!と思ったのは彼の著書ではなく、

彼が所属するバンドのメンバーひとりひとりがインタビューに答えた本。

バンド10年を記念して発刊されたもので、

10年の歩みを振り返って刊行されたものだ。

ひとりひとりの人生を垣間みることができて、

そのときどきにそれぞれのメンバーが思っていたことが語られ、

非常に興味深く、一気に読めた。

 

次に良かったのは彼の日記をエッセイにしたもの。

純粋な日記ではなく、人に見せることを想定して書かれたものではあるけれど、

人の生活を知るのはおもしろい。

ほとんど毎日仕事をしているなぁと思ったけど、

好きなことを仕事にしているんだから自然といえば自然。

 

彼の小説はといえば、とくに好きではなかった。

物悲しさとか切なさとか、いたたまれなさとか痛ましさとか、どうしようもなさとか、

そういう景色が描写されていて、

わたしにとっては、手元に置いて何度も読みたいようなものではなかった。

 

わたしにとって「好きな小説」は、

その世界に居たいと思える小説。

彼の書く小説の世界は、わたしが居たい世界ではなかった。

歌詞にもそういう世界が描かれていることがあって、

でも歌詞だと大丈夫なのはなぜだろう。

歌は3、4分で終わるからかな。

彼の歌詞は想像の余地が多いから、

こちらが好きなように想像できる。

小説で細部まで描かれると、しんどい。

でも同時に思う。

この小説を好きな人も必ずいるだろう。

響く人はきっといるんだな。

 

 

ひとりの人を好ましく思っても、

よく関わってみれば

歌詞の世界は愛せて、小説の世界は愛せない。

おもしろいなぁ。

 

やっぱり結婚するならジョイマン高木を選びそう。

もちろん選ぶ機会はないんだけど。