考えるマカロニ

atsu-atsuの脳内のシナプスのお遊戯を文章化したものです。

ウォーキング

1時間散歩した。

足がじんじんしている。

血が巡っている。

 

体のために散歩をしたのだ。

肌荒れと向き合ってきた人生であるが、

この数年で、問題点が解明されてきた。

わたしはどうも巡りが悪いのだ。

昨年の春に、中医学の先生から、肌荒れ部分に液が溜まっていると言われた。

言われてみればたしかに、ぶよぶよとしているその上に皮膚の問題がある。

カサカサした皮膚の下には、体液が溜まっているのだ。

滞りなく巡っているのが良いであろう体液が、滞っている地点がある。

巡りの悪さがかゆみや荒れの原因だったのである。

 

そんなわけで、運動をしたらいいと言われた。

戸外で過ごすことがいいとも言われた。

手っ取り早いのは散歩だそうだ。

 

わたしは散歩をする習慣がない。

昼日中にぶらぶらしているとなんだあの人はと思われそうだ。

でも、実際昼日中にぶらぶらできるわけだから仕方ない。

今日は外に出てみようと思った。

 

そして出かけた。

パーカーにジーンズ、スニーカーを履いて、ポッケに財布と携帯とてぬぐいを入れ、

手ぶらで出かけた。

 

できるだけ人に遭わないのどかな道を選ぶ。

あぜ道のようなところは、果たして通っていいのか悪いのか。

小学生なら許されるけど、大人がこんなところ通っていたら、非常識なのか?

わからん。

わからんけど通る。クローバーが生えていてふかふかで気持ちいい。

住宅街を散策する。

友達の家、今はだれも住んでいないというその家はどこかしら。

いろいろ推理を働かせてみる。

きょろきょろと家々を見ながら歩くので

誰かが見ていたらちょっと不審だが、誰もいないので大丈夫。

だってみんな働いている時間だから。

と安心していたら思いがけず二階の窓から通りを見下ろす人影があったりもする。

引きこもりの人か、病気療養中の人なのか。

 

最後は農地の中を帰ってくる。

とても広い。

「ここはほんとに最高だな」

自然と口をついて出る。

こんなひらけた、明るい土地にこの先も住んでいたい。

どこかにあるはずの家と土地、

わたしは待ってますよ。

今住んでいる家にも、愛がある。

いろんな、可能性がある。

出逢うその日を待っている。

 

地域を眺めながら自分と対話する散歩でした。