考えるマカロニ

atsu-atsuの脳内のシナプスのお遊戯を文章化したものです。

おんなの気持ち

 

夜、お皿洗いの途中、少し泣いた。

 

 

ガラスの器が割れた。

 

ヨーグルトを入れたり、サラダを入れたり、

ところてんを入れたりするのにちょうど良い大きさの

透明の器。

 

今夜はサラダを入れて食べた後だった。

 

凹凸があるので、溝のようにへこんだ部分が汚れやすい。

 

それを、メラミンスポンジで磨いていたときに、落とした。

 

ふちがちょっと欠けただけ。

 

だけど、もう使えない。

 

4つ買っていたのが、最近子どもが割って3つになっていた。

 

今日わたしが割って、2つになった。

 

もう、家族3人、揃いで使うことはできない。

 

 

 

子どもが寝る準備をしないことに腹を立て、

 

子どもと雰囲気が悪くなり、

 

匙を投げてお皿洗いをしていたときだった。

 

ガラスの器をきれいにしようとして磨いていたのに。

 

それなのに、器は割れてしまった。

 

それが哀しくて、泣いた。

 

 

子どものために、早く寝かせたいのに。

 

怒ってしまうと、子どもに悪影響なのに。

 

現に、子どもは

 

まま と書いてイガイガのマークを、

わたし と書いてぐちゃぐちゃのマークを、

ぱぱ と書いてハートのマークを描いた。

 

ママに怒られる自分はダメ、という表現だ。

 

自分を否定する。

 

いちばん、なってほしくないことだ。

 

でも、わたしのせいで、そうなっている。

 

 

そういうときに、器が割れた。

 

ふたつのことの様子が似ていて、

 

哀しかった。

 

 

ひとしきり泣いた後、

 

残りの食器を洗いながら、ふと気がついた。

 

溝に汚れが溜まるような器は、そもそも良くないのじゃないか。

 

見た目はきれいだけれど、日常使いには向いていないということだ。

 

次は、溝のない器を買おう。

 

これについては、子どものこととは重ならない。

 

大人の階段は続く。