考えるマカロニ

atsu-atsuの脳内のシナプスのお遊戯を文章化したものです。

波乗りマザー

 

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夕方、道を歩きながら母に電話する。

実家にあるそばがらの枕を貸してくれないかという相談。

無事貸してもらう約束を取り付ける。

 

要件が済んだらあとは徒然なるままに、

最近わたしが遭遇したいやな出来事の話に行き着いた。

 

実はその話を人にするのは3回目だった。

1回目は女ともだちに、

2回目は夫に。

どちらとも、わたしの気持ちに寄り添うかたちで

話を聴いてもらえてありがたかった。

もう、この胸のもやもやは成仏したかと思っていた。

 

ところが。

たまたま母にその話をすることになって、しゃべりだしてみたら。

出るわ出るわ、わたしの中に眠っていたマグマのような憤懣(ふんまん)が。

まるで舌切り雀のおばあさんが開けたつづらのように、

醜いものがうにょうにょと。

 

他の人に話したときはこうではなかった。

ひとつひとつの言葉を確かめながら、ゆっくりと話した。

言い過ぎないように、間違えないように、自分の品を損なわないように。

しかし今回は、話しながら自分自身で驚くほど、

ペラペラペラペラペーラペラと、

怒涛のように素の感情が流れ出てきた。

母はその押し寄せる大波にひるむことも制することもなく、

そうよそうよと波乗りした。

 

わたしの心は溜まったエネルギーを思う存分発散し、

電話を切る頃には、すっきりと凪いでいたのだった。

今度こそ、本当に成仏した。

 

母という人が、いかに唯一無二の存在であるかを

改めて感じた電話だった。

43年間もの間、絶え間なく愛を注ぎ続けた人は、とてつもなく大きい。

宇宙なのかもしれない。